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2007年06月03日(日)

治療の経過

私が産婦人科の門を叩いたのは、結婚2年目。
当時、「不妊治療」という言葉を口にするのも、タブーな感じ。
近所のおばちゃんに、
「女は子どもを埋めなかったら女じゃないで」と、いう言葉が心臓に突き刺さった。きっかけは
違うにしてもその言葉で私の中に火がついた。


□□□1件め□□□

第1子を流産して、その病院にかかる。
知識もない私は、「とりあえず」みたいな感じで、家の近くの産婦人科の門をたたく。
治療というか、まず、初歩的な検査。だれもが通る「卵管造影」卵管に薬を入れて、レントゲン写真を撮る。
痛くて、失神したのを、覚えている。
と、レントゲンを見て愕然としたことも。
なんだか、本と違う??
どうなってるんだ????

私の、卵管は、右上がりの、卵巣が子宮の後ろにあり、綺麗なアーチ型ではなかった。
「以前、盲腸したことありますか?」
「ないです・・・ないと、思います」
お腹が痛いことは、多々あるにしても、それが盲腸だったかは、わからない。
「とにかく、この状態では、自然妊娠も右と左が交互に排卵するので、計算上、あなたは、
1年12ヶ月のうち、6ヶ月の左からの確立となります。それも6回がきちんと排卵するとは
限りませんよ。」
意味もはっきりわからなかった。家にかえって、不妊治療の本をスミズミまで読む。
当時、私は「左があるやん」と、希望をもっていた。と、いうのも、知り合いのあばちゃんが、
子宮外妊娠で、片方の卵巣摘出していても2人の子どもに恵まれていた という事実があったから。
半年ぐらいかな、そこの病院に通ったけど、結局、医者がかわれば、患者もかわる。みたいな感じで、別の病院へ移る。

□□□2件め□□□

ここの病院を選んだのは、女医さんと、都会からの医師ということで、評判もよかった。
家からも30分。
しかし、タイミング療法ばかりで、前に進まない。
待ち時間も長く、妊婦さんのための婦人科のようで、息ぐるしくなっていた自分がいた。

□□□3件め□□□

そろそろ、周りも「あそこの病院へいってみたらどう」と、アドバイスしてくれ始めた。
それと同時に、家もでた。「治療もしたいし・・・」と、長男に嫁ぎ同居もしていたけど
理解してくれた義理父母。でも、まだ「不妊治療」と言うことばは今ほど、ポピュラーなものではなく、義理の母は当時気もちよく思ってなかったのが本音だったと、今は思う。
近くに住み、2時間かけて病院にかよった。
2回目の診察時に、「卵管造影」。結果は、1件目と同じ。通水も何度もかよった。
結構失神することも多く、高速道路の路肩で、1時間仮眠してしまう日々。
それと、妊婦さんと、不妊治療が同室。
先生に相談している真横で、心音をきかされるのは、精神的にも良くない。
最終的に1枚の紙をとりだし、無言で私に渡した。
内容は、「体外受精承諾書」
考えてみてください。と、一言。その次に先生からは、「はい、次のOOさんどうぞ〜」
くやしかった。それだけか!!
でも、とりあえず、次の診察の日に持っていくと
「え!ははっ」って感じで、申し込みはまだでいいでしょう〜。
私は、わらをつかむ思いなのに・・・・
2度とくるか〜と、この病院は終わりました。

□□□4件め□□□

このころ、精神状態もあまりよくなく、ホルモン注射で、太りぎみ。
結局、家に帰ることにした。
また、別の病院に変える。ここの病院で1つの転機がおとずれる。
当然のことのように、「卵管造影」から。
産婦人科の院長にかかっていたんですが、

「OOさん、不妊治療を、こんなとこでしてたらあかんよ。紹介してあげるから、OO病院で
手術をうけなさい。(腹腔鏡)卵管が腸に癒着しているのを、はなすことができます。
痛みも最小限だし、一度、お腹の様子をみてみましょう」

「お願いします」
としか返事がみつからなかった。
すぐに、先方の病院に連絡。入院の日も決まり、行きました。
当日、見覚えのある先生が・・・「あっ、産婦人科の院長先生だ!」
こんなとこで、いつもの先生の顔をみると、すこし、ほっとする。 

「大丈夫ですよ」の言葉には、安心感でみたしてもらえるものもあった。
手術室へ・・・・
「ん??若い人ばかり・・」と、麻酔で記憶が途絶えるまで、「実習生??」と
考えていた。

麻酔から、さめたときは、大親友のOOちゃんが3時間もかかるのに来てくれて
私のベットの横で寝ていた。涙が止まらない「ありがとう」

術後、また、もとの病院にもどると、見覚えのある人が、診察室へ座っていた・・
「あっOOさん、もしかして、あの時の」
と、開口1番先生の一言。
「あっ、はい」
「ぼく、あの時あなたに麻酔をうちましたよ。はっきりいって、不妊治療をしたいのなら、
都会の病院に行かないと、ここでは無理です。設備も薬も内容も不足してます。
それに、ここは、赤ちゃんが生まれるための体制」と、設備になっています。
今すぐ、病院をかわりなさい。」
と、1通の紹介状を渡された。
決断した。通おう。片道3時間30分。がんばる。

□□□5件め□□□

「OO婦人科」と、看板がある。
ビルの3階。不妊の人ばかりだ。早口でしゃべる先生。
また、卵管造影。また、失神して、1時間記憶がうすれている。
ここで、1つのことが解った。右の卵管が、子宮の後ろにあるのは解っていた。それに加えて
排卵をキャッチすることが出来ないと先生に言われた。
また、粘液が強すぎて、自然妊娠は無理でしょう。と。
人口受精を受けることにした。
1度受精したが、流産に終わる。
「体外受精に切り替えましょう」と言われ、治療方針を変えることにした。
毎日の注射で、排卵の数を増やす。これまた、右ばかりの排卵で、摘出することが困難
(卵巣が子宮の後ろにあり、とれない)と、初めての体外受精治療は断念した。

また、挑戦。しかし、結果は、1回目と同じで
「あなたは、右ききすぎて、右ばかりが反応してしまいますね」
「とれませんか?」
「無理です」
そうですね。先生も無茶はしない。だめか・・・
そんなとき、親戚のおばちゃんに、新聞を見せられて
「ここに、行きなさい。有名な先生やで」
と。うん・・・


□□□6件め□□□

大きな病院。
小児科・婦人科・不妊センターと、女性のための病院だった。
初診は、院長先生。今までの治療経験を話し、ここに来ました、と伝えた。
「解りました。あなたは自信を持ちなさい。きっと出来ますよ。」
の言葉がとてもうれしかった。
その後、すぐに人口受精からはじめて、体外受精へ治療をすすめていった。
遠くから通うので、夜でも見ていただき、通院も苦痛ではなかった。
臨床検査技師さんも、いつも言葉をかけてくれて、
「これが、不妊センターなんだな」
と、感じた。
2度、妊娠。結果は、流産。

□□□7件め□□□

病院を変えるつもりはなかったのですが、「1度OO病院へ行ってみては」と、義母。
人に聞いたらしく、親孝行だと思い、半年通った。1度、体外受精をしたが、料金も高く
前回の病院があっていると、思っていたので、病院をもどした。

____________________________________________
          結局、6件目の病院にもどし、通院。
01:11  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

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