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2007年06月30日(土)

6月のまとめ

多くの方に、お祝いをしていただきました。
そして、ストロに会いにもきてくれたよ。
皆に、オムツ交換してもらったり、ミルクもらったり、嬉しいね。
    
ミルクの量も増えて、大きくなりました。楽しく毎日を過ごしてます。
ありがとう。元気で大きく育ってね。
    

目が見えているようです。動くと後を追っています。顔を右、左と向く事ができるようになりました。
体重4,300G。重たい
22:30  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月27日(水)

1ヶ月健診(ストロ君)

特別養子縁組は、裁判で私達の実子とされ、戸籍に入ります。それまでは、早くて半年〜1年と、実母さんの籍となります。だから、子供の苗字は、私達とは違ってくるのです。
特別養子縁組されて先輩ママさんたちに1ヶ月検診についてアドバイスをもらいました。
所によると、養子だから受けてもらえない、出生した病院に行ってくださいなど、受け入れ病院を探すはめになることもあるそうです。
子供のための検診なのに、どうして理解してもらえないんかな?と腹のたつ話です。

私たちも、たらい回しにあうと困るので、保健婦さんに相談して、
1ヶ月健診を受けるに、保健婦さんの配慮がありました。と、市からも配慮があり、受け入れ先の病院を手配してくださりました。この地域では特別養子縁組の例が無いことで、子供と、私達の関係をいかに理解してもらえるか、心配でしが、逆に、手厚く受け入れてもらえる事になりました。

午後より、パパと病院。初めてでドキドキしてました。
外出もあまりしないので、階段の段差も慎重に歩いていました。
まだ、私たちの苗字ではないので、なんて呼ばれるかな?と不安もありました。
看護師さんが、私たちのほうを見たので、そろそろかな?と思っていると、
「ストロ君どうぞ〜」
と、苗字をはぶいてくださり、
「えっ!聞いたパパ。今、苗字を省いたね」
皆、フルネームで呼ばれていたのに、名前だけで呼んでもらえたんです。小さなことやけど
なんだか、嬉しかった。パパも同じ気持ちだったと思う。
体重も4,300と順調で大きいくらいです。
2回目のK2シロップも飲ませてもらい、1ヶ月検診も無事に終わりました。

17:47  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月23日(土)

日記

裁判所に、特別養子縁組の手続きに行ってきました。
必要書類が全部揃っているわけではありませんが、受付します。とのことで、
1日も早いほうが良い、と思い。

裁判所の対応は、パパいわく
「事務員さんやでか、好印象だった。どういう判断かは、審査官が決めるそうだけど、呼び出しがあるか、書類審査かは、わからんみたいやで。」
まあ、とにかく、一つづつ、前に進まないと、意味がない。


本日のストロは、ちょうビックリ!!
まだ、生後1月ほどなのに、泣き声はするけど、いない!!
え????
いた!!
薄暗い寝室で探すと、布団から1メートルぐらいのところで、発見です。
暑かったのか??
頭と首を動かして移動していました。
「なんもなくて、良かったけど、あぶないやん。」
と、心配になります。
ジッとしてなくて、目ばなし出来ません。
これも、成長の一つでしょうね。
22:21  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月18日(月)

哺乳瓶を持った!?

少し前から、気にはしていたんですが、
今日、右手で、哺乳瓶をさわりました。
力は弱いですが、私が持つ手を緩めても、触ってる!と確信です。
パパは、写真を撮っていました。親ばかですね。

蒸し暑い1日で、しっかりミルクも飲んで、うんちもしっかり。

ママは、オムツの洗濯で大忙しの日でした。

保健婦さんより、以前からお願いしていた「1ヶ月検診」をして頂ける病院が決まりました。保健婦さんの対応もすばやく、病院へ電話しても
快く受けていただき、安心しました。
と、明日、ストロの、身体測定や、気になる相談に来ていただけるようで、嬉しいですね。母子手帳も発行してもらえるようで、市の対応には感謝しています。
21:48  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月17日(日)

戦いの日。

ストロは、今日はなにやら見えるのか、
戦っていました。
手と足で「エイ〜エイ〜!」と。
1回戦は勝ったようで、ニコニコ笑い小休憩。
2回戦は手ごわい相手らしく、時間がかかり、負けたようで、
「ハーハー」いいながら悲しい顔。
3回戦は、完敗らしく、すぐ泣いてました。

最後は手をクロスして、「変身!」したみたいで、
バタットねんね。

パパと、大笑い。
「敵がいたんだろうね。手ごわい相手が、最後はなにに変身したんだろう〜」
とてもたのしませてくれました。
今日も元気でありがとう。
21:54  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月16日(土)

にーにと、ねーね お兄ちゃん到来!


かわいいストロちゃんにとっては、多分「悪魔到来!」の日だったでしょう。いとこの 「にーに」は、「起きろ〜おきろ〜」耳元でささやき「こちょこちょの刑」と、足の裏や、体を触りまくり!「こら〜赤ちゃんやで!あかんって」って怒っても可愛いんでしょうね。ずっと触ったり抱っこしたりで・・・ねーね も「マツケンサンバ歌うで踊るかな?〜」は〜??そんなわけないやろ〜。不思議なこと言います。 兄ちゃんは、少しヤキモチち?かな。でもミルクあげたり、オムツ変えるの手伝ってくれたり、助かりました。 今日の沐浴は機嫌が悪く、大変でした。少し大きくなったね。夜は寝つきにくく、抱っこで寝かせつけたんですが、だんだん私も眠くなり「寝たらあかん〜」と言い聞かせてがんばったよ。 ストロちゃんも喜んでいたのか、悲しんでいたのか、夜は興奮状態で寝付かずニコニコ笑ってましたよ。


  

22:21  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月14日(木)

新米ママ・パパ育児日記

なにしろ、新米です。
しぐさや、合図がまだ、わからないから、私は今日1日、観察もかねて、
ずっと側にいました。
どうやら、哺乳瓶の乳首が合わない物があり、爪楊枝で穴を広げてみると、
美味しそうに「チューチュー」と吸い付くようになったよ。よかった。

ホッペが好きみたいで、ホッペを触ると「ニヤ〜」としてくれます。
なんともいえない可愛さなんですこれが。

ミルクもよく飲み、よく寝てくれますが、少しずつ夜に起きてることがあります。
最近すこし、睡眠不足かな。
主人も夜、助けてくれるから、とてもたすかります。
23:40  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月11日(月)

親友


親友の00夫妻がストロのお祝いに来てくれた。
「お〜い!!nimoちゃん、おめでと〜!」
普段から、とても元気のいい親友は、今日は輪をかけて元気な声。
と、いうのも、この夫婦は、奥さんが私の幼なじみで、旦那さんがパパの幼なじみで、古くからの付き合いと、子供がやっとできて、半年前に出産したばかり。
だから、私達の思いに一番理解してくれる人。

「わ〜小さいね。こんなんやってんな〜」と、育児について、沢山のアドバイス。
と、いうのも、看護婦だからなんでも知っていて。
「わ!鼻くそ、タマッテル」って取ってくれました。
すごい、慣れた手つき・・・ママにできるかな〜と、不安いっぱいです。
なんだか、柔らかい子供の鼻に触る事すら怖いな〜

いつも、ありがとうね。
ホッペを触ると笑ってくれます。
17:42  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月10日(日)

育児記録

マリアさんに頂いた、ストロ退院から我が家へ来るまでの育児記録

■5月29日 午後2時退院 おとなしい子。やさしそうな声で泣く。おねえちゃ おにいちゃんと数日過ごす。賑やかだ。
■5月30日 大変おとなしい。泣くとハスキーな声。ゆっくりミルクを飲む。
ミルク500CCうんち2回おしっこ4回
■5月31日 一日おとなしく過ごす。マイペース。ミルク540CCうんち2回おしっこ6回
■6月 1日 目を開ける。いつも良く寝ているので、あまり目を開ける顔がみれない。開けると大きい目。少し目と目が離れているかな?失礼!
ミルク680CCうんち2回おしっこ7回
■6月 2日 大きい声でないても優しい感じ。やさしい子。
ミルク630CCうんち3回おしっこ7回
■6月 3日 ミルクを飲んで良く寝る。ミルク620CCうんち2回おしっこ6回
■6月 4日 泣くと手足をバタつかせてタオルや毛布をけって元気。
ミルク640CCうんち3回おしっこ7回
■6月 5日 おとなしい。時々笑うのがとてもかわいい。ミルクをはかない。
ミルク64CCうんち2回おしっこ7回
■6月 6日 目の周りの湿疹が出たり消えない。心配ないと思う
ミルク750CCうんち3回おしっこ7回
■6月 7日 寝ていてキーと泣き出す。悪い夢でもみたかな。うんちをよくする!
ミルク700CCうんち3回おしっこ5回
■6月 8日 良く寝てよくうんちをする。口をポカーンと開けていたり、なかなか愉快。ぽっぺをつつくと良く笑う。お別れストロちゃん。

ありがとうございます。一緒にいれなかった時間ですが、どんなようすかとても良くわかりました。
21:04  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月09日(土)

はじめまして。ママとパパです。

早朝、我が家を出発。
車の中では、無言の二人。多分、その時の瞬間を想像していたんでしょう。

駅に近ずくにつれ
「な〜ドキドキせんか?」
「うん、するする」
と、妙に喉がかわく。コンビにでお茶を買ってもすぐに飲み干してしまう。

待ち合わせの時間より、早く到着。やはり「トイレ」に駆け込み、気分を落ち着かせていた。改札口からは、沢山の観光客や、修学旅行生が列をなして通ってくる。
「まだかな〜」
と、早く会いたい気持ちで胸が張り裂けそう。

一つの人波が引いた時、
「あっ!!」
静かに、エスカレーターを下りてくる人影が・・・・


「こんにちわ。ストロちゃんですよ。よく寝てます」
「・・・・ありがとうございました」
とにかくこういうときは、言葉が出ない。と、いうことが解った。
自分がどんな行動をとっていたのかすら覚えていない。
だた、パパは、カメラで写真をとっていたのは、覚えています。




車の中で家路までの道のりを、抱っこしていた時の暖かさは、一生忘れないでしょう。
愛おしくて、小さなわが子を見て
「はじめまして。ママです。よろしく。守ってあげるからね」
と、心の中で、呟いていました。

家に帰ると、両方の親や、兄弟が待っていてくれました。
両方の母親はとても喜んでくれて涙を浮かべているのが解ります。

食事のあと、早速、お風呂の入れ方をパパが指導してもらいました。


この子の癖や、今後の裁判の流れなど、お疲れの所、ありがとうございました。
そして、出産から、今日までの育児日記を渡してもらい、
「今日からは夫婦二人じゃない。この子を守らないと」
新米なんで、夜はソワソワ、ワクワク。
多分、眠れないやろうな〜
本当に、ありがとうございました。
21:44  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月08日(金)

前夜

今日は、結婚記念日00周年。
いよいよ、明日、我が家へ幸せが来る!!

朝からソワソワしている様子を隠すように主人と、いつものように朝を迎えました。
私は、パン教室へ出かけ、午前中はあっという間に過ぎていきました。

午後からは、なんだか、ボーっとした時間。
お互いいろいろ考えていたんでしょうね。

落ち着かず、明日の確認と、「熱でも出したら日延べするのかな〜」と不安も感じていました。

明日は、早起き。体調も整えて、今日は休みます。
20:47  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月06日(水)

親ばか1週間

マリアさんから、引渡し日の連絡が入ると、大変!
それは、なにも用意してないから・・・
家の大掃除や、身の回りのかたずけ。

beby用品の買出しは、なんともいえない楽しい(^v^)
今まで知らない世界に、ストロちゃんが導いてくれたんです。
とりあえずのもの、おむつ・哺乳瓶・沐浴剤・下着をかって、家で眺めていました。
もうすぐなんだな〜と、「これも・あれもしてあげよう〜」と、
すでに親ばか発揮の夫婦です。

17:46  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月05日(火)

該当者確定の報告

何気なく1日を過ごしていた。景色は、新緑の季節で、山や、野では初夏を感じさせる臭いと、その日の天気もそんな雰囲気で、晴天。
友達と、美味しいそばを食べに行こう〜と、山あいに行き、ボーっとしていた。
多分私の頭の中は、「面接」の余韻が残っていたんだろう。
何かと前向きに考えるようになっていた。

いつもと同じ雰囲気の夕食後、1つの電話が鳴る。
主人の対応を横で聞いている限り「間違い電話か・・」と、思っていると、
「電話、マリアさんから」
「マリアさん?あ〜なんだろう」と不思議でした。

挨拶から始まり、何気なく会話していた。
すると、
「退院しましたよ。ストロちゃん。元気です。」
「え〜!!ほんとうですか!?ありがとうございます」
私の会話で主人も察したようすで、涙を浮かべていました。
もう、そこから何を話したのか・・・・・
多分、今後のスケジュール的な事。
そして、電話をきってから、マリアさんは、退院してきたストロの写真をメールで
送って下さった。
ただただ、涙。
その夜は、主人と、今までのことも沢山話して、
「がんばろう。これからは、3人家族だよ。」
12:09  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月03日(日)

治療の経過

私が産婦人科の門を叩いたのは、結婚2年目。
当時、「不妊治療」という言葉を口にするのも、タブーな感じ。
近所のおばちゃんに、
「女は子どもを埋めなかったら女じゃないで」と、いう言葉が心臓に突き刺さった。きっかけは
違うにしてもその言葉で私の中に火がついた。


□□□1件め□□□

第1子を流産して、その病院にかかる。
知識もない私は、「とりあえず」みたいな感じで、家の近くの産婦人科の門をたたく。
治療というか、まず、初歩的な検査。だれもが通る「卵管造影」卵管に薬を入れて、レントゲン写真を撮る。
痛くて、失神したのを、覚えている。
と、レントゲンを見て愕然としたことも。
なんだか、本と違う??
どうなってるんだ????

私の、卵管は、右上がりの、卵巣が子宮の後ろにあり、綺麗なアーチ型ではなかった。
「以前、盲腸したことありますか?」
「ないです・・・ないと、思います」
お腹が痛いことは、多々あるにしても、それが盲腸だったかは、わからない。
「とにかく、この状態では、自然妊娠も右と左が交互に排卵するので、計算上、あなたは、
1年12ヶ月のうち、6ヶ月の左からの確立となります。それも6回がきちんと排卵するとは
限りませんよ。」
意味もはっきりわからなかった。家にかえって、不妊治療の本をスミズミまで読む。
当時、私は「左があるやん」と、希望をもっていた。と、いうのも、知り合いのあばちゃんが、
子宮外妊娠で、片方の卵巣摘出していても2人の子どもに恵まれていた という事実があったから。
半年ぐらいかな、そこの病院に通ったけど、結局、医者がかわれば、患者もかわる。みたいな感じで、別の病院へ移る。

□□□2件め□□□

ここの病院を選んだのは、女医さんと、都会からの医師ということで、評判もよかった。
家からも30分。
しかし、タイミング療法ばかりで、前に進まない。
待ち時間も長く、妊婦さんのための婦人科のようで、息ぐるしくなっていた自分がいた。

□□□3件め□□□

そろそろ、周りも「あそこの病院へいってみたらどう」と、アドバイスしてくれ始めた。
それと同時に、家もでた。「治療もしたいし・・・」と、長男に嫁ぎ同居もしていたけど
理解してくれた義理父母。でも、まだ「不妊治療」と言うことばは今ほど、ポピュラーなものではなく、義理の母は当時気もちよく思ってなかったのが本音だったと、今は思う。
近くに住み、2時間かけて病院にかよった。
2回目の診察時に、「卵管造影」。結果は、1件目と同じ。通水も何度もかよった。
結構失神することも多く、高速道路の路肩で、1時間仮眠してしまう日々。
それと、妊婦さんと、不妊治療が同室。
先生に相談している真横で、心音をきかされるのは、精神的にも良くない。
最終的に1枚の紙をとりだし、無言で私に渡した。
内容は、「体外受精承諾書」
考えてみてください。と、一言。その次に先生からは、「はい、次のOOさんどうぞ〜」
くやしかった。それだけか!!
でも、とりあえず、次の診察の日に持っていくと
「え!ははっ」って感じで、申し込みはまだでいいでしょう〜。
私は、わらをつかむ思いなのに・・・・
2度とくるか〜と、この病院は終わりました。

□□□4件め□□□

このころ、精神状態もあまりよくなく、ホルモン注射で、太りぎみ。
結局、家に帰ることにした。
また、別の病院に変える。ここの病院で1つの転機がおとずれる。
当然のことのように、「卵管造影」から。
産婦人科の院長にかかっていたんですが、

「OOさん、不妊治療を、こんなとこでしてたらあかんよ。紹介してあげるから、OO病院で
手術をうけなさい。(腹腔鏡)卵管が腸に癒着しているのを、はなすことができます。
痛みも最小限だし、一度、お腹の様子をみてみましょう」

「お願いします」
としか返事がみつからなかった。
すぐに、先方の病院に連絡。入院の日も決まり、行きました。
当日、見覚えのある先生が・・・「あっ、産婦人科の院長先生だ!」
こんなとこで、いつもの先生の顔をみると、すこし、ほっとする。 

「大丈夫ですよ」の言葉には、安心感でみたしてもらえるものもあった。
手術室へ・・・・
「ん??若い人ばかり・・」と、麻酔で記憶が途絶えるまで、「実習生??」と
考えていた。

麻酔から、さめたときは、大親友のOOちゃんが3時間もかかるのに来てくれて
私のベットの横で寝ていた。涙が止まらない「ありがとう」

術後、また、もとの病院にもどると、見覚えのある人が、診察室へ座っていた・・
「あっOOさん、もしかして、あの時の」
と、開口1番先生の一言。
「あっ、はい」
「ぼく、あの時あなたに麻酔をうちましたよ。はっきりいって、不妊治療をしたいのなら、
都会の病院に行かないと、ここでは無理です。設備も薬も内容も不足してます。
それに、ここは、赤ちゃんが生まれるための体制」と、設備になっています。
今すぐ、病院をかわりなさい。」
と、1通の紹介状を渡された。
決断した。通おう。片道3時間30分。がんばる。

□□□5件め□□□

「OO婦人科」と、看板がある。
ビルの3階。不妊の人ばかりだ。早口でしゃべる先生。
また、卵管造影。また、失神して、1時間記憶がうすれている。
ここで、1つのことが解った。右の卵管が、子宮の後ろにあるのは解っていた。それに加えて
排卵をキャッチすることが出来ないと先生に言われた。
また、粘液が強すぎて、自然妊娠は無理でしょう。と。
人口受精を受けることにした。
1度受精したが、流産に終わる。
「体外受精に切り替えましょう」と言われ、治療方針を変えることにした。
毎日の注射で、排卵の数を増やす。これまた、右ばかりの排卵で、摘出することが困難
(卵巣が子宮の後ろにあり、とれない)と、初めての体外受精治療は断念した。

また、挑戦。しかし、結果は、1回目と同じで
「あなたは、右ききすぎて、右ばかりが反応してしまいますね」
「とれませんか?」
「無理です」
そうですね。先生も無茶はしない。だめか・・・
そんなとき、親戚のおばちゃんに、新聞を見せられて
「ここに、行きなさい。有名な先生やで」
と。うん・・・


□□□6件め□□□

大きな病院。
小児科・婦人科・不妊センターと、女性のための病院だった。
初診は、院長先生。今までの治療経験を話し、ここに来ました、と伝えた。
「解りました。あなたは自信を持ちなさい。きっと出来ますよ。」
の言葉がとてもうれしかった。
その後、すぐに人口受精からはじめて、体外受精へ治療をすすめていった。
遠くから通うので、夜でも見ていただき、通院も苦痛ではなかった。
臨床検査技師さんも、いつも言葉をかけてくれて、
「これが、不妊センターなんだな」
と、感じた。
2度、妊娠。結果は、流産。

□□□7件め□□□

病院を変えるつもりはなかったのですが、「1度OO病院へ行ってみては」と、義母。
人に聞いたらしく、親孝行だと思い、半年通った。1度、体外受精をしたが、料金も高く
前回の病院があっていると、思っていたので、病院をもどした。

____________________________________________
          結局、6件目の病院にもどし、通院。
01:11  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月02日(土)

決断までのジレンマ

養子を考えだしたのは、
私のほうが先。正確ではないですが、2004年頃だと思う。

きっかけは、TVで、不妊治療をしていた。どうしても出来ない夫婦が、「養子」を決断する場面。
「養子か、私もそういう道もある」
と、思わせてくれた。

その後の日々、主人との口喧嘩も増え、ギクシャクする事もしばしば。
思い切ってきりだしてみた。

「養子を考えたらあかんかな〜?」
「えっ・・・・・・・・」
そうだね。主人としては何で?って考えたんだろう。流産してもできている。がんばれば。
というふうに見えた。

でも、パソコンで知らない間に調べていたみたいで、ある日、押入れを大掃除していた時、
隙間にプリントアウトした書類を見つけた。
「養子縁組」と目に飛び込む。
「調べてくれていたんだ」

知らない顔しておこう。

どちらかというと、インドア派になり、暇な日は、パソコンの前にいることも多く
喧嘩も増える。
主人に兄弟がいるので
「跡継ぎ変わってもらえないかな〜」
「あほか!!ここまでがんばってきたのに」
その答えが返ってくるのは、解っていた。

月日は流れて、1年後また、養子についての話をしてみた。
「一応調べたデ」と、主人。あの資料を見せてくれた。
私も、調べてみるね。

養子縁組を調べていると、養子縁組された人のブログにぶつかる。
「幸せなんだな〜・・・・・これだ!決心しよう!」

そこからは、いろいろ調べてみる。
赤ちゃんがいいな〜。だれも同じこと思うでしょうが。

義母が、
「もう、養子をかんがえたみたらどう?あなた見たいるとかわいそうで・・・」
と、突然に私に言う。びっくりした。
「えっ    いいのお母さん・・・・」
「いいわな、今は時代もかわり、あなたが一生懸命育てたら、私らも協力するよ」
ここにお嫁にきて良かった。

ずっと気になっていた1件。思い切って連絡してみることにした。
何度もやりとりして、信用できるところだと、確信した。主人も賛成してくれていたので
スムーズに進んだ。

以前、「跡継ぎを兄弟にかわってもらえないかな」
と言うことも、今では、
「養子を迎えいれて、この子がいじめや、なにかあったら、何処でも行こう僕が守る!」
主人が言ってくれた。兄弟や、親にもそう伝え、強い意志を感じたし、うれしかった。

仕事が、急に忙しくなる冬。
春をまって、資料を提出。
面接。対象は、赤ちゃん。特別養子縁組。名前も自分たちで決める。

このころ、赤ちゃんポストが話題を呼び、賛否両論。


該当者を待つことになる。面接から、連絡が入るまでは、早かった。
これもタイミングだと言われる。

長い長い冬が、終わろうとしている。

00:59  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007年06月01日(金)

ツライ日々

結婚10年。
当然の事のように、子どもが授かる。と、思っていました。

□■夏■□
待ちに待った、第1子目を宿すことが出来ました。夫婦ともども喜び、期待で胸をふくらませ、
「こどもの命名」の本・育児本も買い、それは、それは、楽しい毎日。
そんなある日、お腹が痛くなり、病院へ。そのまま入院。
「赤ちゃんの姿が見えない」と、診断。診察室ではなくて、病室で、赤ちゃんを流産してしまう。
あの時の事は、今でも、忘れられない光景の暑い夏のおわりに、私も終わった8月。

悲しみと絶望感で、しばらく何も考えることができなかった。

□■春■□
なにげなく、仕事しているようで、「生理がおくれているな?」と思い、自宅で検査すると、
妊娠反応がでていた。第2子が授かる。が、その日、出血・・・・当然「またかな?」と、考える。
病院に行き、また入院。診察室で先生の一言「もう、無理です」
実家で、しばらく療養。部屋から眺める景色は自分の子どもの頃を思い出させてくれる。
その道を、ランドセル背負って帰ってくる甥っこを見て、
「子どもの頃に戻りたい・・・」と悲しむ寒い冬のおわり3月

高度の治療をし始めて、「これで、授かるだろう」と願いを込める。

□■冬■□
体外受精で第3子が授かる。今度こそは!と、大事にする。でも、喜びと言うよりも、
不安と、心配の日々。
診察日、先生が、「赤ちゃんに、出血がみられます。」と、ホルモン剤の座薬で様子をみる。
1週間後の診察で、「今回は、もたないです・・」と、・・・・・
診察台の上にねて、処置を待つ。涙がとまらず、舌を噛もうか・・・、主人の顔を見ることも出来ず、看護師が処置室で流してくれてオルゴール音楽が、「壊れかけのREDIO」だった。
家路に帰る車の中でもまだ、器械の音と、オルゴールの音楽が頭の中で渦巻いていた。
私には、サンタが来なかった12月のクリスマス。

静かに流れていく日々。「養子を迎えることが出来ないかな」と、子どもがほしい!という強い願いに変わっていく。この頃から、「養子の道」も考える。

□■冬■□
相変わらず、治療の月日。治療のタイミングをのがすと、1か月遅くなる。主人が、
「もう少しゆっくりしたら」と。うれしいけど、そうわいかない。
高度治療で、しんどい日々。
そんな中、第4子を授かる。うれしかった。
が、またすぐに、「自然に流れると思います」と先生。もう、言葉がなかった。
目の前が、真っ暗・・
街頭のイルミネーションが綺麗に見えなかった12月イブ。新しい年をむかえる言葉
「おめでとうございます」が言えなかった新年を迎えた。

町で見かける子どもを連れている家族を見て泣いたことも沢山ある。体力も精神的にも疲れている。
そんな折、1つの出会いにぶつかる。私はこの出会いにかけた。お願いしますと。


ニュースで、「こうのとりのたまごが、孵化しました。」と流れた。よかったねと思いながらも、ため息。
いつもと変わらない夕食後、電話が鳴る。主人がでている。「間違い電話みたい」
私は、主人の対応を聞いて、そう思った。
「おい、電話OOさんから」
瞬間、何かな?まさか、とこの何秒間で何項目のことを考えていた。
「はい。こんばんわ・・」
と、たわいもない挨拶と、お礼の会話。(やっぱり、なんでもないわな、早すぎるし)
「それより、こんなことで電話したんじゃないんです。今日、退院してきました迎えれますよ
おめでとうございます」
と、またまた、この瞬時に、「だれが退院してきたのか、迎えれる????」あっ!
「え!ほんとですか・・・・・・ありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいで」
と、あとは、なんだかただただうれし泣き。

隣りにいた主人も、会話でわかったのでしょう。今まで見たことのないような喜びでいっぱいの顔をしていた。

まだ、信じれない気持ちと、これからの生活に明るい兆しと、
心から、ありがとうございました。の言葉につきない。       

私たちの人生をかえてくれた、この子を、今週土曜日に迎えいれることになりました。
この先、どんな人生を送っていくのかわかりません。
でも、私達夫婦は、大事に育て、守っていきます。

このご縁に関わって下さったすべての方に感謝を。
01:20  |  2007年~2012年7月までの記録♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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